当社独自の事前概算見積もりシステム
オメガ シーマスター2255.80 オーバーホール
- 当社では、携帯で撮影した小さく不鮮明な画像でも構わないので、最初の問い合わせの際には出来る限り時計の画像を添付したメールで、購入時期や現在の不具合等を詳しくお伝えしてもらうようにしています。
お客様からの最初のアプローチとして面倒なのは重々承知していますが、その情報を元にお伝えした概算見積り金額が、現物を拝見した後にお出しする正式な見積もり金額を上回る事は全体の3%以下のため、最終的にはお客様にとっての利益になると考え、他店とは異なるこういった方式を基本にさせてもらっております。
この方式に沿ってお問い合わせいただいたものの、最終的にオーバーホールご依頼には至らなかったのですが、おそらくそのお客様からは、当社をご信頼いただいたのではないかという事例がありました。
具体的な理由はここでは紹介しませんが、メールだけのやり取りでも、文面や内容でこちらのお客様が信頼おける方だという確信がありましたので、「当社の修理に対する方針や姿勢をお伝えするうえで貴重な参考例となるので、今回のやり取りやいきさつを可能な範囲内で紹介させてもらいたいのです」とその方にお伝えしたところ、快く了承していただきました。
以下に、その一連のやり取りを記載しております。
かなり長い文章になっておりますので、読むのに時間がかかりますが、現物を拝見する前のメールの段階で、いかに当社が正確な診断をしている事がご理解いただけると思います。
(以下に紹介している価格は修理完了時の価格です。)
- 時計は2006年初頭に新品で購入されたオメガ シーマスター300・オートマチック3針(2255.80)でした。
画像を見る限り文字盤や夜光の変色が無く(=湿気や汗の混入歴が無い)、手荒に扱われると傷がつきやすい部分も比較的綺麗なため、オーバーホール+安価な消耗部品の交換数点で¥25,000〜¥26,000程度で済んでしまいそうなパターンのように思えましたが、いただいた情報を読み解くうちに、そんな単純な修理では済まない事が予想されるようになってきたのです。
当社ではメール/お電話の段階での概算見積りの際には、時計の画像の他、現在の状態や過去の修理・オーバーホール履歴の情報も出来る限り詳しくお伝えしてもらうようにしております。
そこで伝えてもらった事項のうち、私が特に注目した(=不安を感じた)のは以下の2点でした。
●購入から3回、メーカー/正規代理店以外でオーバーホールしている。
●前回のオーバーホールの際、ねじ込み式のリューズとその受け側ネジとなるチューブをセットで交換しているのに、オーバーホールから半年経過でねじ込みロックが半回転以下で解除されてしまうようになった。
7年間で3回のオーバーホール回数や、リューズ+チューブのセット交換にもかかわらず、わずか半年でロック解除が半回転以下となる事は大変珍しいと言えます。
しかし、私が首をかしげたのはこの2点だけでは無かったのです。
このシーマスターに搭載されているcal.1120は世界のベストセラーとなっているETA2892A2がベースになっており、ロレックスなどに比べると部品代は総じて安価となっています。
こちらから要求したのではありませんが、お客様が時計の画像とともに前回オーバーホール時の伝票を添付してくださり、そこには部品代の内訳が記されておりました。
裏蓋パッキン ¥1,575
自動巻きローターベアリング¥8,400
2番歯車 ¥4,200
切換車 \5,250
リューズ \7,350
リューズチューブロウ付加工¥16,800
同じ部品を交換したと仮定し、当社の請求額との差を比較してみました。
カッコ内が当社請求額です。
裏蓋パッキン ¥1,575(¥735)
自動巻きローターベアリング¥8,400(¥4,675)
2番歯車 ¥4,200(¥1,575)
切換車 \5,250(¥1,575)
リューズ \7,350(¥4,675)
リューズチューブロウ付加工 ¥16,800(¥15,750)
この中で、リューズチューブ加工だけがほぼ同額なのは意外に思えますが、これは作業可能な外注先が極めて限られており、当社と同じ外注先である事が推測されるのと、ロウ付け加工をする際に熱を加える関係で、ケースの仕上げ加工が必要になり、チューブ代+ケース仕上げ代+ロウ付け加工賃の合計になるので、比較的高額の工賃となるからです。
ここまでの差ですと、当然部品の仕入れ先が異なる可能性もありますし、さらには基本オーバーホール料金の価格差もありますので、部品価格の比較だけで一刀両断に「高い」と断言してしまうのは不公平でしょう。
ここはさらに踏み込んで詳細に比較する必要があります。
前回作業したところのオーバーホール料金は\14,700だったそうです。
ちなみに当社では、このタイプのシーマスターのオーバーホール基本料金は¥21,000です。
当社では「オーバーホール基本料金を安くすることは、技術がそれだけのものでしかない」とHPで謳っておりますので、基本料金はこれ以上下げられません。
前回作業したところでは、部品代を高めに設定するというのもやむを得ないのかもしれません。
と思いながら、冷静に料金の内訳を見つめていると、ある事実が判明しました。
仮に当社で同じ部品交換・メニューを施したとして、合計料金を比較して見ましょう。
●当社
オーバーホール ¥21,000
裏蓋パッキン ¥735
自動巻きローターベアリング¥4,675
2番歯車 ¥1,575
切換車 ¥1,575
リューズ \4,675
リューズチューブロウ付加工 ¥15,750
合計 ¥49,985
●某社
オーバーホール ¥14,700
裏蓋パッキン ¥1,575
自動巻きローターベアリング¥8,400
2番歯車 ¥4,200
切換車 \5,250
リューズ \7,350
リューズチューブロウ付加工¥16,800
合計 ¥58,275
この結果からわかるのは、合計料金が結局高価になるという点だけではないのです。
実は一見わかりにくいその点こそが、修理受付/見積りにあたって当社が非常に重要だと考えている部分なのです。
結局オーバーホール料金は少々高くとも、部品の価格差からトータルの金額では、当社の修理金額の方が安くなる事がわかりましたが、同じ部品でも、仕入れ先や購入ロットなどによって部品代は異なってくるので、一概に「この修理店はオーバーホール料金を格安に設定して、まずは目を引き付け、時計をお預かりする段階まで持って行けばキャンセルになる事は少ないので、あとは部品代でその分をカバーすればよいという考えだ」と言えるものでは無い事をご承知ください。
通常、部品問屋さんへの注文は細かくその都度1個単位で部品注文する場合が多いのですが、当社では交換頻度の高い部品は海外から数十個単位で仕入れるなどして、部品単価を下げるようにしております。
このように、同じ部品は一度に大量注文したほうが、長い目で見て注文や支払の手間が少なく出来るために、経営効率の面でも有利となります。
さらに、外装パッケージだけ異なり部品そのものは全く同一、という場合もありますので、その場合は純正では無く、仕入れ価格の安いETAパッケージの物を使用する事にしております。
ただし、部品によっては仕上げなどが異なる場合もありますので、同一部品かどうかを確実に見極める眼力が必要となります。
ここはむしろ「他社は部品代が高い」と言うより、様々な企業努力によって「当社の部品代が安い」のだとお考えください。
この時計を受付するのにあたって、最も注目すべきなのは「前回のオーバーホールの際、リューズとリューズチューブをセットで交換しているのに、わずか半年間でリューズロックが半回転以下で解除されてしまう」という点でした。
これはどのような事が考えられるのか?
以下に3つの推測を述べます
1.そもそもリューズやチューブを新品に交換していない。
これは明らかな詐欺行為となり、まず考えにくいので除外します。
2.交換したリューズ、チューブの品質や取り付け加工が不適切であった。
リューズとチューブは純正品の入手が容易ですし、工賃は当社とあまり変わらない事から、加工は同じ会社である可能性も高いので、この可能性も低いですね。(そもそも、チューブの取り付け加工の可能な外注先はほとんど1社しか無い)
3.何らかの要因で、使用されている方が毎日のようにリューズロックを解除して時刻合わせやゼンマイ巻き上げを手巻きで行っていた。
確率は低くくとも、1か2の原因であった場合は当社で適切な交換を行えばよいので、話は簡単です。
可能性が高い3であったとしたら、話はちょっと複雑になります。
リューズとチューブのネジ山が摩耗していた際、その理由が「使用されている方が毎日のようにリューズロックを解除して時刻合わせやゼンマイ巻き上げを手巻きで行っていた。」という場合、なぜそんなに頻繁にリューズロックを解除して操作する必要があったのか?という点が一番の問題となります。
理由としては
1.精度誤差が気になり、毎日のように時刻合わせをしていた。
2.頻繁に停止したり、または精度が安定しないのを“巻き上げ不足”と判断し、ゼンマイの手巻き操作を頻繁に行っていた。
という事が考えられます。
お客様へ問診し、1の原因であった場合は、 “機械式時計は原理的に振り子時計の発展型”である事などをお伝えし、同型の時計との平均値などと照らし合わせて問題無い場合は、ネジ山保護のためにも今後はリューズ操作を極力控える等の措置をお伝えします。
2の理由であった場合は様々な問題があります。
近年、日差が大きくなったり、頻繁に停止するなどの症状が出て、その旨を購入店に申し出ると、開口一番「ゼンマイの巻き上げ不足が考えられますので、手巻きを数十回行って、ゼンマイ巻き上げを補ってください」と言われることも多いそうです。
しかし、使用状況や時計の内部の状態を把握せずに、この一言で片づけるのは、時計にとって大変危険なのです。
この問題をここで詳細に語ろうとすると、見積もりの流れから外れますし、以前から別記事にして取り上げたいと思っているほど巷に氾濫している誤った情報ですので、ここでは省略します。
これは近々必ず記事にしますのでご期待ください。
頻繁に手巻きを行っていた状況で最も問題となるのは、“根本的に自動巻き機構や歯車等の動作が不安定なため、停止や精度不良といった問題を引き起こしており、そのため手巻きで常にゼンマイをフルパワーにして半ば無理矢理に動作させていた」という場合です。
実は、最初の問い合わせがあった時点からこの理由を疑っておりました。
最初のお問い合わせの時点で“4年弱で3回のオーバーホールを実施し、3回目のオーバーホール後半年ほどで交換したリューズねじ込み部分に不具合を生じたために使用を中止し、今回4回目のオーバーホールをしたい」との話を聞いた際、
「過去3回いずれもメーカー/正規代理店によるオーバーホールでは無い事から、適切な処置をされておらず、ずっと動作不良のままだったのではないだろうか?」との疑念を抱いておりました。
もしそうだったとしますと、前回の作業内容と金額には大きな問題があります。
まず、消耗/交換頻度の高い部品を軒並み交換しているにもかかわらず、性能を回復する事が出来ていないので、根本的なオーバーホール技術が不足しているか、部品交換の見極めが出来ていないという事になります。
そして、私が最も重要であると思ったのは
「これだけの部品交換が必要で合計金額が¥58,000になる場合、部品代を安く設定できるメーカー修理のほうが安くなる可能性が高い」という点です。
これまで述べてきた事を踏まえ、お客様に当社の見積もり及び修理方針をお伝えいたしました。
以下、その内容の紹介です。
前回、別会社で作業を行った際の明細伝票には「ご依頼の時点で文字盤の固定用足が折れていましたので、今回も同様に接着対応しました。そのため、強度の保証は出来ません」との記載がありました。
カレンダー付の時計の場合、この文字盤足折れを接着で処理すると、しばらくは問題が無くとも、カレンダーの表示ズレが発生したり、接着剤のカスなどで、カレンダー送り不良や時計そのものの停止の原因となる事が多いのです。
確実な対処は、文字盤の入手が可能な場合は文字盤交換となります。
以上の事を踏まえ、お客様にお伝えしたメールの内容は以下の通りです。
- ○○様
お問い合わせありがとうございます。
リューズロックが効かない事に加え、文字盤の固定用部分が破損している事を考慮しますと、多少費用がかかっても今回はメーカーに修理依頼され、傷んだ部品はすべて交換して完全に修復する事をおすすめ致します。(リューズおよび文字盤などの高額な交換部品が多くなりますと、部品価格の安いメーカー修理が費用面で有利です。)
弊社では中途半端な部品交換/修理を行うことが、長い目で見て結局お客様の不利益になると考えております。
今回メーカー修理で完全に修復されましたら、次回4〜5年後、異常が発生する前に弊社にご依頼くださるのが最良の方法であると思います。
前回ご依頼されたところは、オーバーホール料金は格安ですが部品代が弊社と比較して高価なようです。
ご理解いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
--
時計修理工房(有)友輝
- 上記メールの内容をお伝えした結果、お客様はメーカー修理をされる決意をされたようで、「5年後の定期オーバーホールの際にまた連絡させていただく事になりそうです」との返信をいただきました。
今回は、結果として当社の受注=利益にはなりませんでしたが、このような返信をいただけると、長い目で見て決して損はしていないという確信があります。
一連のやりとりから、今回比較的高価になる見積もりが出たとしても、このお客様は当社へ依頼してくれたような気もいたします。
しかし、分解して初めて明らかになるダメージや(特に過去他社で作業されたものに多い)、新たな部品交換が必要な事が判明し、途中で当初の見積もりより高額になったりする事は避けたかったのです。
その場合、どうしてもお客様は不信感を抱いてしまうので、そういった事態を防ごうとするあまり、必要な部品交換を先送りにし、結果としてオーバーホール後にもかかわらず不調の原因となる事も予想されます。
今回また不調を起こせば、もうそのお客様はメーカー以外の修理会社というものは一切信用出来なくなるばかりではなく、機械式時計そのものを新たに購入する事も無くなってしまうかもしれません。
何でも修理を引き受けるよりも「きちんと理由を説明してお断りする」のが、結果としてお客様のためになる事が少なくありません。
あまり言いたくないのですが、前回作業をしたところはオーバーホール基本料金は安いものの、部品交換が多くなり、結果当社よりトータルの修理金額が高価になる事例がこれまで数例判明しています。
必要な交換部品の見極め方は作業者によって異なりますので、一概には言えませんが。
かなりの長文になりましたが、ここまでの内容をほとんどの場合、お問い合わせいただいてから平均1~2日以内に判断してお客様に伝えます。
現物をお預かり/拝見する前の問い合わせの段階で、時計の画像を添付してもらったり、過去の修理履歴を詳細に知らせてもらうなど、はっきり言ってお客様にとってはかなり面倒なのですが、このような手順を踏むことにより、開口一番「現物を見ないと分かりません」やお客様の顔色や懐具合をうかがったうえで「これくらい高めに言っておけば赤字になる事もないし、このお客様なら少々高めに言っておいたところで依頼してくれるだろう」といった大雑把で不誠実な見積もりをしないで済むのです。
現物を拝見する前の段階で、ここまで詳細な情報を要求する時計修理店は無いと思います。
「現物を見てみないと分かりませんので、とりあえず店舗まで足を運んでもらってから正式なお見積もりをいたします」という時計修理店が多いのですが、それだとお客様が貴重なお時間と交通費等をかけて、結局無駄足となる事も多いのです。
宅配便の場合でも、当社と同じように配送パックを用意している時計店も多いのですが、依頼方法を見ますと、多くは無条件で配送パックを発送しているようです。
この場合、「無料だから」と気軽に注文し、その挙句に「送ってこない」例がかなりの数発生します。(大多数の良識ある方々からすると信じがたい事だとは思いますが)
また、お客様が自覚していないコピー品であったり、水入り等が酷くて修理不可能、もしくは費用をかけて修理する事は決しておすすめ出来ない品物も着払いで送られてくる事になります。
こういった場合でも、受け取りの送料は修理会社で負担するようです。
事前におおよその金額や修理方針が判明していれば、こういった手間や無駄を省くことが出来るので、当社も作業に費やす時間を増やすことが出来、最終的には費用や納期の面でお客様にとって利益につながると考えております。
当社のような極めて少人数での経営の場合、この面倒な事前相談方式を採用せずに、「とりあえずどんな時計でも修理受付してしまう」ような方針ですと、時計の状態にかかわらず料金を平均化する必要が生じ、時計の状態も良好で、本来ならばもっとも手間も費用もかからないという、「最も歓迎すべきお客様」に、無駄になってしまった配送料やコスト、追加作業の工賃や部品代を上乗せしなければならないのです。
お客様からも「時計の修理においてどんな事が一番難しいのですか?」という質問をいただく事が多いのですが、即答で「見積りです」と答えます。
質問される方はクロノグラフ等の複雑時計の修理などを想定していたようなので、とても意外に思われるようですが。