1960年代末のオメガ・シーマスター・クロノメーターです。
当時の上位機種であったコンステレーションと同じ、高精度調整が施された機械を搭載している隠れた名機。
シンプルかつ完成されたデザインで、私が好きな時計の一つです。
弾性があれば力が加わっても折れずに機能し、柔らかければ曲がったままになります。
本体ケースに組み込んでプッシュボタンで操作する限り、このバネにそうそう無理な力は物理的にかけられません。
という事は、このバネが規定以上に「硬かった」のがリセットレバーの固さを生み出していたのではないかと推測いたしました。
そこでこのバネを新品に交換してみたところ、いとも簡単にリセットの固さが解消されました。
たまたまこのバネの熱処理などがうまくいってなかったのか、何らかの後天的な理由によるものかはわかりませんが、結果論としてバネが硬かったのが原因だったようです。
これまで数多くのcal.861をオーバーホールしましたが、こんな事例はこの個体だけでしたので、非常に珍しい例であるのは間違いありません。
手巻きスピードマスターに搭載されているcal.861/1861系はリセットレバーとハンマーの位置(噛み合い)を変化させてリセットの固さを調整できるようになっているのですが、前回のオーバーホールの際、その調整では固さが解消できない事が判明していました。
当時消去法で考えていれば「残る原因はこのバネしかない」という結論に達し、試験的にバネを交換してみるという方法にたどり着けたのですが、顕微鏡で検査してもバネには外観面で異常が無いという時点で見逃してしまいました。
今では時計の異常原因を突き止める場合、私は様々な場面でこの消去法を多用しております。
この時点では8年経過している事もあり、手巻きスピードマスターの持病ともいえるリセットピンが折れた事による不良で、12時間計のスリップはストップレバーの調整で解決の見通しを立てていました。
その際「その後もリセットは固いままだったので、やはり改善できませんか?」との相談を受けました。
前回の診断結果を聞いて、たまにスタート/リセット操作をしていたらしいのですが、固さは変化無かったとのこと。
それを聞いて私は「スタート/リセットによって部品のあたり=馴染みは出てきたものの、8年経過するとオイル切れを起こしていてリセットが固くなっていたとしても不思議はない」と推測いたしました。
ただ、この手巻きスピードマスターの場合、リセットボタンの固さについては個体差が結構ありますので、依頼者の方には「今回のオーバーホール後も固さは完全に解消できないかもしれません。レバー類の切削や加工を行うと、工賃だけかかって結果を伴わない可能性もあるので、個体差の範囲内と思われる場合は、そのままになります。」と伝えておきました。
その後まもなく修理品が届いたので、早速点検したところ、リセット出来ない症状はこの手巻きスピードマスターに頻発するリセット用ピンが折れたものではありませんでした。
リセットピンの折れについては、また機会を改めて記事にしたいと思いますので今回は割愛しますが、このcal.861系統の持病ともいえるほど頻発いたします。
リセットピンの折れでは無かったので、裏蓋を外しただけではリセット不良の原因がわかりません。
そこで、通常は見積もり段階では行わないのですが、文字盤まで外してみました。
するとこれまで経験したことの無い部品が破損していたのです。
画像右上の、大きいネジで固定されている弧を描いたバネが根元で折れています。
どうやらこのあたりに問題のポイントがありそうです。
その際、所有者の方から「クロノグラフのリセットボタンが固いので、その調整も同時に出来ませんか?」との申し出もいただきました。
このスピードマスターPro.に使用されているムーブメントは、元々センター秒針と30分計の2レジスターで基本設計されていたところに、12時間計を後から半ば強引な設計で追加したという経緯がありますので、そのせいでリセットボタンはかなり固めの感触となっています。
12時間計が追加されたのは前身のcal.321時代に遡ります。
また、このパターンはバルジュー23と72についても同様で、同じくやや強引な設計となっておりますが、リセットレバーが凝った造りとなっているおかげで、cal.321~861のような固さではありません。
それはさておき、使用者がリセットを固く感じるのは主にオイル切れによるものである事が多いので、オーバーホールの際に注油を確実に行えば大丈夫だろう、と思っておりました。
ところが、オーバーホール後いくら注油箇所を確認し直してもプッシュボタンが固いのです。
顕微鏡で確認しても部品の摩耗や変形などは無く、ごくわずかにリセット関連のレバーの面取りなども施しましたが完全には解決しませんでした。
この時は「リセットボタンを押した回数もそれほど多くなく、部品同士のあたり=馴染みがまだ出ていないせいで固い可能性もあるので、これから使用していけば徐々に軽めの感触になるかもしれないです」と返答して、しばらくこのまま使用してもらう事にしました。
この時点でこれ以上の追及をしなかったのは、明らかな異常が見られない状況で、推測だけで部品の交換や加工をしてしまうと無駄な費用が掛かるだけでなく、根本的な原因が発見された際に復旧が大変困難になる場合があるからです。
ところが、それから8年が経過して、どうやら原因と思われる点が判明したのです。
3/4(日)18時から放映されるTBSの番組”THE 世界遺産”で、私も2009年に行ってきたスイス時計製造の町であるラ・ショー・ド・フォンとル・ロックルが特集されます。
その2009年の訪問の際、現地で私を案内してくれたS君が番組内で取り上げられるそうです。
彼とは10年来の知り合いなのですが、知り合った時、彼は誰もが知っている有名大学の学生でした。
当時から古時計の修復・再生に高度なテクニックを発揮していたのですが、そのまま 一流企業へ就職し、時計は趣味として楽しむものだと思っていたところ、なんと卒業後に彼は渡仏し、語学学校に通った後は現地の時計専門学校に入学しました。
やはりそこで抜群の成績を収め、複雑ムーブメント設計/製作の会社へ技術者として就職し、現在に至ります。
成績優秀で就職先から請われる形で就職が決まったにもかかわらず、就業ビザの取得には並々ならぬ苦労があった事を聞きました。
「スイスの時計学校留学で箔をつけて、あわよくばそのまま現地で就職」と考えて時計師を志す若い方も多いと聞いています。
日本の雑誌や時計専門学校も、そういった”格好のいい外国留学”的な事を煽る素地があるようです。
しかし、日本から外貨を落としてくれる”学校入学&留学”と、現地の雇用を圧迫しかねないうえ、技術やノウハウが過去驚異的なライバル国になりそうなところまで行った日本へ流れる危険性もある”就職”となると、全く対応が異なるものだという事も知っておいてほしいものです。
当然ながら、スイスの時計学校では流出してもよい技術・情報しか教えてくれません・・
日本でも学べる事、出来る事はたくさんあります。日本で収まりきらない自信が芽生えてからでも留学は遅くないのでは、と思います。
しかしこんな事、雑誌や他の媒体ではまず書いてません・・
TVや雑誌は勿論の事、京大の入試問題にすらあっという間に回答を教えてくれるインターネットでも、こういった情報はなかなか入手できません。
生身の人間同士で無いと得られない情報や知識もまだまだありますよ。
ごくごく一部の限定情報に限ってですが、このブログには大きな媒体に負けていけない、という自負があります!
画像はおなじみのスピードマスターですが、ただのスピードマスターではありません。
760,000kmを旅した経歴を持つスピードマスターで、1969年に月面初着陸を果たしたアポロ11号搭乗のマイケル・コリンズ飛行士が着用していたそのものです。
コリンズ飛行士は月着陸船には乗り込まず、司令船に残って月面を周回する任務でしたので、このスピードマスターは月面には降り立っていないのですが、歴史的な時計である事に異論は無いでしょう。
当時のままと思われるベルクロ式ストラップが”オリジナル”といった雰囲気を醸し出してます。
このストラップのレプリカがあったら欲しいものですね。
ちなみに、月面に初めて降り立ったアームストロング船長のスピードマスターもスミソニアン博物館所蔵だったと記憶してますが、こちらは非公開のようです。
一時期、雑誌などで月面初着陸のスピードマスターのムーブメントはcal.321かcal.861か?という議論がありましたが、こればっかりは文字通り蓋を開けてみないとわかりませんね。
ただ、時期的なものや、NASAの支給品であるスピードマスターは当時基本的に繰り返し使用されるものであったという事から、私はcal.321だったんではないかと思います。
時計ビギンで、最後の月面着陸となったアポロ17号で使用されたスピードマスターの裏蓋を開けた事がありましたが、その個体はcal.321でした。
画像のコリンズ飛行士のものも、プッシュボタンなどがcal.321時代の特徴を備えてるように思いますが、このあたりの詳細な知識について、私はいわゆるスピマスマニアと呼ばれる方たちほどの知識は持ち合わせておりませんので、詳しい方いらっしゃいましたら、コメントで解説をお寄せくださいませ!
余談ですが、NASAによる公式時計選考の際、手巻きデイトナが最終選考で脱落したという噂があります。
いったい何がスピードマスターとの運命を分けたのでしょうか??
近いうちに、構造/機能面を中心に、私なりの勝手な推論をこちらで述べてみたいと思ってます。